【思考と言葉と行動の一致】瞑想の先生と脱ぎっぱなしで転がっている靴

先日ヨガスタジオでの瞑想のクラスに参加したときのこと。

スタジオの入り口にこんな感じでどなたかの靴が転がっていました(似たような靴を持っていたので 再現イメージ写真 を撮ってみました。 笑)。

その靴の主は瞑想のクラスの先生。

窓越しにスタジオ内を見たら、静かに座って瞑想をしているような様子。

靴の転がり具合から、どんな風に靴を脱いだのか想像がついて、座っている姿との大きなギャップを感じました。クラスが始まる前からぼんやりとした違和感が。

きっちり完璧に揃えるまでしなくても、倒れた靴を直すぐらいすれば良いのに、と思いました。その動作には10秒もかからないのだから…

自分も気を付けなければ!

そして瞑想のクラスですが、その日は私1人だけ。呼吸法をあれこれやったのですが、一つの呼吸法を少しやって別の呼吸法へ、といった感じで、どういう目的でそうしているのかよくわかりませんでした。説明もなし。

ヨガをしていると、呼吸を丁寧にするとか、勢いだけで身体を動かそうとしないとか、小さなことを一つ一つ丁寧にすることの大切さにも気づきます。

そこをおろそかにすると次につながらない。

呼吸が浅い・ペースが早い状態で片脚で立つのは難しい、それなら一度あげた脚をおろして呼吸をきちんと整えてやり直そう、そんな感じです。

そして、何かを丁寧にするとそこに気持ちの余裕が生まれる。つい丁寧さを忘れてしまう時もあるけれど、忘れたら戻る/戻る努力をする。

思考と言葉と行動を一致させるのは難しいけれど、近づけるように心掛けるのは大切ですね。

       

先週末の味噌づくりも、丁寧に丁寧に、の連続でした。

急がない、丁寧に。頭ではわかってはいても難しい時もありますね。練習あるのみです。

ちなみに、その瞑想クラスは新しく始まったものだったのですが、翌月ぐらいにはタイムテーブルから消えていました。参加者が少なかったのかな…

後日追記:この後こんなこともありました。所作は大事ではないかなと個人的には思うのですが…

ヨガ講師のクラス中の所作を考えさせられた、早朝のオンラインリストラティブヨガ

Happy Practicing 🙂

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ABOUTこの記事をかいた人

オーストラリア・ブリスベン在住、東京都出身。在豪歴延べ15年ちょっと(パース・シドニー・ブリスベン)。日豪での会社員生活からヨガ講師に転身。ヨガアプリ「Down Dog」の日本語音声&翻訳、「ヨガジャーナルオンライン」のライター、サウンドセラピストとしても活動。オカメインコと庭のニワトリと、のんびり暮らしています。