「徳を積む」ということ

徳を積む

 

数か月前にとある方から「徳を積む」ことのお話を聞きました。誰かに見られていなくても、知られることがなくても何か善い行いをするというもの。

 

一例としてに出たのが「公衆トイレ」の話でした。

 

自分の家のトイレをきれいに保つのと同じように、トイレットペーパーが床に落ちていたら拾って捨てる、洗面所の周りが濡れていたらさっと拭いておく、など。ビートたけしさんも公衆トイレの汚れを見つけたら掃除をしていたとか。

 

確かに公衆トイレに行くと結構な確率でこの二つは見かけますが、この「徳を積む」の話を聞くまではわざわざ拾ったり拭いたりはしていませんでした。他人がしたことで自分には関係ない、という意識ですね(反省)。

 

「徳を積む」は自分が無理なく出来ることをすれば良い。公衆トイレの場合「これはちょっと…」と思うような場合は放置してもOK。

 

そう聞いて、これなら出来るかも?と思ったのです。そして、そのことを話してくださった方がとても信頼できる、尊敬できる方だったからというのもあります。

 

それからは公衆トイレを使った時に床に落ちたトイレットペーパーを見たらそれらを拾い、洗面所まわりがひどく濡れていたら拭き取るなどしています(公衆トイレの掃除は割と行き届いているので頻繁ではありませんが)。

 

これをやったからと言って必ず何か良いことが起きるわけではないし何も期待していませんが(行為に対する見返りを求めない、ヨガをする人にはお馴染みですね)、自分の損得や他人からの評価に関わらず、他者のために何かプラスになることをするのは悪くないと感じました。そしてやってみると結構気持ちが良いのです。

 



 

目の前にいる人に親切にしてあげるとか助けてあげる善行も大事だけれど、他人の見えないところで善行ができる心の余裕も大事ですネ。ただの自己満足だけれどまぁいいんじゃない~、という軽い気持ちでやっています。

 

本来、人知れずにするから「徳を積む」のであり、ブログに書いてこれを言うのはどうなの?!と一人ツッコミ入りましたが、シェアして悪い話ではないと思うので書いてしまいました。バチが当たることもないと思うので良しとしましょ、と都合よくまとめてみます🙂

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

オーストラリア・ブリスベン在住、東京都出身。在豪歴延べ15年ちょっと(パース・シドニー・ブリスベン)。日豪での会社員生活からヨガ講師に転身。ヨガアプリ「Down Dog」の日本語音声&翻訳、「ヨガジャーナルオンライン」のライター、サウンドセラピストとしても活動。オカメインコと庭のニワトリと、のんびり暮らしています。