先日の記事の続きです。
英語でクラスを始めたばかりの頃は、自分のインストラクションで満足してもらえるのか気になりました。これは言語関係なく誰でも気になりますよね😅
結論から言うとほぼ大丈夫でした。
口に出さないだけで違和感を持った方もいたかもしれないし、実際のところ、違和感や不満を持った方がいたという事実もありました。でも、帰り際に「クラス良かったよ!」「友達があなたのクラスがいいって言ってたから来てみたのよ」と声をかけてもらえたり、クラス前は疲れた表情をしていた方がクラス後にスッキリした表情で「有難う」とお礼を言われるなども多々あり、これは本当に励みになりました。
ブリスベンに引っ越す直前、パースのスタジオでの最後のクラスの時には涙目で「寂しくなるわ」とか、ブリスベンに引っ越してから一番最初のクラスで「他ではどこで教えてるの?」と言っていただけて、こういった言葉をかけてもらう度に安堵の気持ちでいっぱい。
言葉が満たない部分は他に出来ることで埋めるようにしてきました。言葉に何の心配のないネイティブスピーカーのティーチャーは、言葉の心配はなくても何か他に苦手なことがあるかもしれません。まずはそう考えて言葉だけが良いクラスを作る要素だと思わないようにしたし、実際そうだと思います。
当たり前と言えば当たり前、そして大雑把な表現ですが、出来るかぎり皆さんに心を配るようにしています。これはもちろん日本語でのクラスでも同様です。

10の心配りをしても実際に相手にどれだけ伝わっているかはわかりません。5にも満たないことがあるかもしれません。でも少しでも伝わった方がいるからこそ、有難い言葉をかけてもらえたのかな??と思っています。
どんな心配りをするかは決してマニュアルに沿ったものではなく、誰かの真似でもなく自分が自然にできること=自分の経験からくるものだと私は考えています。
だからここで私のやり方を書いても誰の役にも立たないと思うので書きません 😉
話がそれましたが、英語(もしくはその他第二外国語)だけを過剰に心配しなくても大丈夫です。そもそもクラス中休みなくインストラクションをし続ける必要はないですし。それに、心配している人はそれなりにどうにかしようと行動している最中だと思うので、きっとそのままで良いはず。
そして、心配りは当たり前と書きましたが、だからと言って簡単なことではなく、引き続きの努力は必要だと改めて感じます。
自分が言われたことで気づきましたが、良いと思ったものを相手に言葉にして伝えるって大切ですね。
前回同様、何かのご縁でここにたどり着いた方のうちお一人にでも参考になれば嬉しいです 🙂
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