「いつか」は ほぼ100%来ない

いつかはこない

 

人との会話で「いつか」という言葉が良くでますよね。似たような言葉で「今度」も。

 

「いつか行くね、いつか行きたい」

「今度ご飯食べよう、飲みに行こう、お茶しよう」

 

人から言われただけでなく、自分でも誰かに言っていたと思います。

 

でも…結論から言うと

 

いつか来た人、今度ご飯食べた人は、ほぼいません。

 

行くとか来るとか、ご飯を食べるが実現する時は、じゃあいつにしようか?とその場ですぐに話が進みます。

 

逆に自分がそういう言葉を発してから実行に移したか否かは、どうだったかなー。多分有言不実行はあったはず。

 

😳😳😳

 

無責任でスミマセン。

 

こんな自分でしたが、ある時「いつか・今度」に嫌気がさし始めたというか、モヤモヤしてきました。



「いつか・今度」が実現しなくても、何の痛みも損失もないし、言った側も言われた側も、誰も何も困らないです。「いつか絶対」と強調されることもありますが、所詮それは社交辞令。

 

殆どの場合、話を繋げるために本気で思ってはいないけれどそう言ってしまう、ノリで言っている、気を遣ってそう言っている、のいずれかだと思います(自分はそうでした)。

 

ぶっちゃけ、気にする必要のない、ど~でもいいことかもしれないです。

 

が、いつからか「これはあまり良いことではないかも」と自分に対してモヤモヤ。そして決めたこと。

 

思ってもいないことを口にするのはやめる。
言ったことに対しては責任を持つ。

 

「いつか・今度」を口にしたら必ずそれを実行するようにしています。逆に、実行するつもりがなかったら初めから「いつか・今度」は言わない。

 

殆どが人に会う、ご飯を食べるとか、ちょっとしたことなのですが、そういうちょっとしたこと、些細なことだからこそ大切にしたいと思うのです。

 

 

話が変わり、本当に「いつか」と思っていながらも実行に移さない場合。

 

かよこさんのヨガクラス、いつか行く(行きたい)、絶対行く!

 

これまで良く言われました。有難いお言葉ではありますが、「いつか・今度・絶対に」と言って実際にクラスに来られた方は殆どいません(笑)。

 

それはまだ良しとして、あららーと思ったのが、いつかいつかと言っているうちに私が遠くに引っ越してしまった時。行きたいと思っていたのに~とまで言われたこともありました。

 

いつか本当に行きたいと思っていたのに、二の足を踏んでいる間に行きたい場所がなくなった、自分では行けないところに移ってしまった、自分の環境が変わって行くことが完全に不可能になってしまった。これは残念なパターンです。

 

いつか行きたい(やりたい)なら、待たずに行動に移すのみです。相手はいつまでも自分の都合のいいように存在してくれているとは限りません。

 

私がいつまで今のようにヨガクラスをしているかわからないのと同じですね。

 

話を戻して。

 

「いつか」はほぼ100%来ないし、その場のノリや盛り上がりで意志が追い付いていないまま言葉を発するのはなるべく控えるのが良い。

 

そして口にしたことはどんなに小さなことでもきちんと実行すると気分が良いですよ、とまとめさせていただきます。

 

お口にチャック、ではなく、お口に責任を、口に出す言葉の扱いは丁寧に 🙂

 

ヨーガスートラ 第2章36節

正直に徹した者には、行為とその結果がつき従う。

 

ヨガの経典である「ヨーガスートラ」は日常生活にも活かせることが書かれています。

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ABOUTこの記事をかいた人

オーストラリア・ブリスベン在住、東京都出身。在豪歴延べ15年ちょっと(パース・シドニー・ブリスベン)。日豪での会社員生活からヨガ講師に転身。ヨガアプリ「Down Dog」の日本語音声&翻訳、「ヨガジャーナルオンライン」のライター、サウンドセラピストとしても活動。オカメインコと庭のニワトリと、のんびり暮らしています。