ヨガの目的は心のはたらきを止滅させること。このはたらき(5種類あります)を止めるためにはどうすれば良いのか、それをするにあたり存在する障害をどう取り除くか・・・という話がヨーガ・スートラの第1章に書かれています。
(まとまりがなくなるので「心のはたらき5つ」が何かについてはここでは触れませんが、ヨーガ・スートラでは勿論説明されています。)
4-5世紀頃(紀元前2世紀という説もあり)に成立したヨガの教典。インドの思想家、パタンジャリによって編纂された。
ちなみに私が持っている日本語訳はこの3冊です。
左)インテグラル・ヨーガ – パタンジャリのヨーガ・スートラ(スワミ・サッチダーナンダ 著)
ヨガのティーチャートレーニングの参考書になっていたので入手しました。これを持っていないヨガティーチャーはいないのでは?というくらいの定番。英語版もあり、こちらにはデーヴァナーガリ―文字表記もあります。
追記:新版ではローマ字・デーヴァナーガリー文字での掲載があるようです。これはイイかも!
中央)現代人のためのヨーガ・スートラ (グレゴール・メーレ 著)
読み比べに購入。「インテグラル・ヨーガ」より難しく感じました。
フォントに昭和を感じますが(笑)わかりやすいです。
このヨーガ・スートラは一度読んだだけで「うん、わかった!」となる内容ではないので、時折読み返しています。その時々によって響く箇所が異なるのも面白いのですが、最近響いた箇所について書きたいと思います。
ヨーガスートラの第1章・33節では日々心が乱れることなく落ち着いた状態を保つために心掛ける4つのことが述べられています。
By cultivating attitudes of friendliness toward the happy, compassion for the unhappy, delight in the virtuous and disregard toward the wicked, the mind-stuff retains its undisturbed calmness.
他の幸福を喜び(慈)不幸を憐れみ(悲)、他の有徳を欣び(喜)不徳を捨てる(捨)態度を培うことによって、心は乱れなき静澄を保つ。
ひとつずつ見ていくと…
他人の幸福を喜ぶ
誰かの幸福を自分に起こったことと同じように喜ぶこと。妬まない。これは実際に出来る出来ないはともかくとして(笑)わかりやすいかと思います。
ちなみに、この時代でさえ他人の幸せを喜べない人々がいたからパタンジャリはこれを言っていたのだろう、という解説があります。時代を超えても変わらない人間の性質なのでしょうね。永遠の課題?!
他人の不幸を憐れむ
これもわかりやすいでしょう。困っている人、苦しんでいる人がいたらその人の気持ちに寄り添ってあげる。できることなら手を貸してあげる。
他人の有徳を喜ぶ
徳の高い人に出会ったら、その素晴らしさを見習おうという気持ちを持つ。羨まない。そういう人の悪いところを探してそれを攻めて蹴落とそうとしたりしない。
不徳を捨てる(不徳に対して無関心でいる)
そして最後のこれ。現代人のためのヨーガ・スートラ (GAIA BOOKS) にも、これが最も難しいと書かれていましたが、本当にそう思います。
不道徳なことをする人やその行動に対して嫌悪感を抱かない。
他人、他人のすること、それが「不徳、不道徳」なことだと自分に被害がなくても気持ちが乱れることはありませんか?(私にはそういうことがあります)。
隠してはいるものの自分自身の中にもそういうこと(不徳さ)があることを思い出してしまうから、なのだそう。思い出してしまうならそれに対して無関心でいること、そういう人から離れることが提案されています。
おさらいすると
- 他人の幸せを喜ぶ(友愛)
- 他人の不幸を憐れむ(同情)
- 他人の有徳を喜ぶ(欣喜)
- 不徳への無関心を抱く(無関心)
これらを心掛けていると余計なことに心がざわつくこともなく、静かな心を保ち続けることができる。
最近この箇所が響いたということは、私の心が少しざわついているのかもしれない…ですね💦
こういった目的を達成するための手段のひとつとしてアーサナ(ポーズ)が存在します。ヨガ=ポーズを取る、だけではないのはこのためです。
そしてヨガ哲学で触れられていることは「言っていることはわかるけれど、実際にはできていない」ことが多いです。ここで出てきた、他者の幸福を自分のことのように喜ぶことが常にできているか?私はできていません(笑)
長くなりましたが、ヨガは身体を動かすだけでなく、日々の過ごし方、生き方にも関わっているということ、そして時間をかけて実践しながら学ぶものであることを少しでも知っていただければ良いかな~と。
Happy Practicing 🙂
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