願うのは不幸ではなく、幸せを。

珍しく?芸能ニュースネタからです。

 

磯野貴理子さんの離婚の件。

 

旦那さんが切り出した離婚、その理由は私も「何それ?🤨」と思いました。批判されても仕方ないと思います。

 

でも。ですよ。

 

だからと言って、理由に対する批判を通り越して元旦那さんの不幸を願うのはどうなのでしょうねぇ。

 

Twitterをしているので、それで知ったこのニュースですが、コメントがいき過ぎではないかというのが率直な意見です(そして、いき過ぎたコメントへの賛同者の多いこと!)。

 

そこまで他人の不幸を願っちゃうの?!

 

ネットで思ったことをすぐに発信できてしまうから、コメントしている人は一時的な感情でがーっと発信しているのだと想像しますが(一週間もしたらほとぼりがさめるハズ!)、感情を向ける方向性が正しくナイ。

 

その怒りをぶつけるなら、そのエネルギーがあるなら、貴理子さんのこれからの幸せを願うべし、ではないでしょうか。

 

残念な理由だと思うし、貴理子さんみたいに「そうだよね」とはとても思えないけれど、それとこれとは別なはず。

 

この件で文句を言っていいのは貴理子さんだけじゃないかなぁ。ご本人はそんな感情を微塵も出していませんが・・・

 

他人の不幸を願うとか、それを発言することは、それをする自分自身にもネガティブな何かを与えているはず。

 

以前受けたヨガティーチャートレーニングのノートより。

 

Before you speak, think…

Is it true?
Is it necessary to say?
Is it kind?

 

必要以上にネガティブになるよりは、可能な限りポジティブに発想を転換したほうがいい!

 

 

ひとつの物事を別の角度でも見るようにしたら日々の暮らしが穏やかになる・・・はず!!

 

そして、貴理子さんのサバサバ感と優しさが大好き。

 

Happy Practice 🙂

 

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ABOUTこの記事をかいた人

オーストラリア・ブリスベン在住、東京都出身。在豪歴延べ15年ちょっと(パース・シドニー・ブリスベン)。日豪での会社員生活からヨガ講師に転身。ヨガアプリ「Down Dog」の日本語音声&翻訳、「ヨガジャーナルオンライン」のライター、サウンドセラピストとしても活動。オカメインコと庭のニワトリと、のんびり暮らしています。