これをやってみよう!と思った何かを毎日短時間でも続けるとき、それが嫌なことではないのに実行できないことはありませんか? 例えば・・・
「毎日10分瞑想する」
瞑想するといい、瞑想でこんな効果が!といった話題を良く目にしたり人から聞いたりして「瞑想してみようかな?」と思い始める人も少なくないと思います。
ところが「やろう(やりたい)と思っているのだけれどなかなかできない・・・」という声も良く聞きます。
10分の時間すら取れないほど日々忙しいわけではない。
24時間ずっと騒々しい場所にいるわけではない。
でも出来ない🙄
気が付いたらやらないまま1日が終わっていた🙄 🙄
どうして??
考えられることその1 雑念や誘惑
・ふと目にしたものに気を取られその対象物へ関心が向いてしまう
・集中するためにサイレントモードにしようと触ったスマホでネットサーフィン
・家で誰かに話しかけられた
・その他諸々
考えられることその2 「10分だけなら後でもできる。」
10分という短い時間がすぐの実行を阻むことに。よくありがちな「いつか」「そのうち」「また今度」です。10分だけなら後でもできる、と後回しにして、結局そのままやらずに1日が終わり、寝る時間がやってくる。
そんなこんなの些細な理由で10分の時間を取れない。ネットサーフィンの10分はあっという間なのにね??
あるある?
目の前の10分間を取れずに他のことに気が向いてしまう(意識が外に向く)時は頭の中が忙しい。
そういう時こそ、10分とは言わず5分だけでも静かに坐って目を閉じ、今この場所に存在している自分を認識する。
そして、忙しくなっている自分を一旦落ち着かせる。こんな作業が必要でしょう。
もちろん5分、10分だけで全てはリセットされませんが、ほんの少しでも自分軸に戻る、「ココロここにあり」の習慣を意識的につけることは大切なことだと思います。
一本の筆で赤の絵の具を使い、そのまま青の絵の具を使ったら色が混ざって紫になる。赤の後に青にしたければ 筆を水で洗う 必要がある。
この 筆を水で洗う行為 と
日常生活の中で少し静かに坐る時間 は似ていると感じます。
忙しい気持ちのままで何か他のことを始めたら、多少なりともその忙しい気持ちが先のことに影響するのでは。
瞑想で心が静まる様子を味わい、心をリセットするのは気持ち良いです。
時に自分の雑念の多さに気づきますが、決してそれを「あぁできていない、ダメだ」と善悪をつけるのではなく、そんな自分の今の状況をそのまま受け入れるだけです。
「あぁ、雑念が多いですね。以上。」
それ以上考えたり、理由づけしたり、関係のない話を頭の中に持ち込んでストーリーを展開しない。
5分が長ければせめてせめて3分でも毎日静かに坐ってみる。
とにかくやってみる。
瞑想アプリを使うのもおススメです。
1日に短時間でも静かに座る習慣をつけることも練習の積み重ね。習慣になるまでは大変に感じるかもしれませんが、少しずつやってみませんか?
Happy Meditating 🙂
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