【ヨガ哲学 】 本当の意味での「アパリグラハ(不貪)」の実践とは?「手放す」とは?

(本ページはアフィリエイト広告を利用しています)

最近じわりと考えているヨガ哲学の「アパリグラハ(不貪)」についてです。

まず「アパリグラハって何?」というところから。

ヨガの目的にたどり着くための実践の道のりである「ヨガの八支則(アシュタンガヨガ)」というものがヨガの経典「ヨーガ・スートラ」で述べられていますが、その中の最初の段階「ヤマ(禁戒)」の中にあるのがこの「アパリグラハ」です。

ヤマについてのもう少し詳しいことはこちらより…

ヨガの八支則【ヤマ】ネガティブな方向へ進まないようにするための5つのこと

アパリグラハは、無所有、不貪(ふとん)という意味で、文字通り、貪らない、欲張らないということ。モノや感情を溜めこまない、執着するのはやめましょうというのが大まかな解釈になっていると思います。

これから何かを手に入れようとする時には注意しましょう、必要のないモノはできるだけ手にしないようにしましょう、ということにフォーカスしがちですが、このアパリグラハには「今持っているものを手放す」ということも含まれ、では何を手放すの?という話になります。

手放すもの=不要なもの
断捨離=いらなくなったモノ
切りたい人間関係よ、おさらば~~

こんなイメージではないかなと思いますが、どうでしょう?

毎週受けているヨガ哲学講座から学んだこと、インド哲学の中での鳥さんのお話です。

小さな鳥がエサを見つけて、しっかりとくわえて飛んでいたところ、自分よりも大きな鳥がそのエサを見つけて狙ってきました。

エサは自分にとって、とても大切で手放したくないけれど、このままではエサだけでなく自分の命も危ない…どうしよう?

鳥の決断 → エサを捨てる!

 

こうしたことで、大きな鳥から逃げることができて自分の命が守られて、心穏やかになることができた。

…こんなお話です。

鳥にとってエサはとても大切で手放したくないもの。でもこれを手放すことで命が守られて平和を得た。

モノを持つことで、その時は自分の欲望が満たされて嬉しい、幸せな気持ちになるかもしれないけれど、それがやがて執着となり、執着から苦しみが生まれ…ということです。

例えば、新車を買って嬉しい!でもローンがある、保険代がある、他にも維持費がかかるな、事故にあったら困るな、盗まれたらいやだな、ぶつけられたら困るな、数年後にはもっといい車が欲しくなる…とか、うれしいだけではない感情がわくと思います。新車以外にも色々と例はあげられるでしょう。

大切なものを手放すって難しいですよね。大きな決断を伴うし、それによって悩むこともあるけれど、鳥がエサを捨てることで命を得た(命を失わずに済んだ)ように、その後には手放した以上のものがくるということです。

振り返ってみると、私自身も手放したくないなぁと思ったものを止むなく手放したことは、過去に何度かありました。多分誰にでもある経験だと思います。

私の場合、手放した後にそれを超えるものを得ているような気もするし、あのまま手放さずに抱え込んでいたら今頃どうなっていたのだろう?と逆にヒヤリとすることもあります。

所有するモノが増えれば増えるほど、執着も増えて苦しみのもとになる。シンプルにしても物事がまわっていくことを知ると、苦しみや不安が減ってより幸せになれる…そんな教えです。

大切でないもの、いらないものを手放しても、それは本当の意味でのアパリグラハの実践とは言えない。

そんなことを教わりました。

大好きな漫画、きょうの猫村さんでもこんなセリフがあるのです!

自分にとって失いたくないものは何だろう?どうして失いたくないのだろう?ということを一度考えてみるのも良いかもしれません。

私もこの話を聞いてからは時折考えるようにしています。

ヨガ哲学について、こちらもどうぞ

【それは本当の喜びなのか?】3種類の喜び 、バガヴァッド・ギーターより

Happy Practicing 🙂

コメントはこちら

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

ABOUTこの記事をかいた人

オーストラリア・ブリスベン在住、東京都出身。在豪歴延べ15年ちょっと(パース・シドニー・ブリスベン)。日豪での会社員生活からヨガ講師に転身。ヨガアプリ「Down Dog」の日本語音声&翻訳、「ヨガジャーナルオンライン」のライター、サウンドセラピストとしても活動。オカメインコと庭のニワトリと、のんびり暮らしています。